アップデートされた始まりの攻殻

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2015年6月27日、公開中の「攻殻機動隊 新劇場版」最後の舞台挨拶が名古屋で行われた。
 
今回の映画は今まで作られた作品群の前日譚で、若かりし頃の草薙素子が描かれているのだけれど、彼女の性格自体は今までのすべての攻殻作品を包括したものとなっており、まさに新劇場版という名に相応しい作品になっていると思っている。
そこで攻殻25周年というこの時期にどうして新劇場版と銘打たれた今作が公開されたのかについて考察したい。
 

まず現在公開中の新劇場版についてだが、今作はARISEシリーズの最終章として制作され、第4の攻殻と呼称されている。
原作を1stと見据え、2ndが押井さんによる劇場版、3rdがSACシリーズをメインとした神山作品群で、
4thの攻殻は1stや2nd寄りの作りなのだけれど、それぞれは基本的な設定を共有するパラレルワールドな作品くらいに思っていればいい。
 
アニメに関して言えば神山さんのSACシリーズとそれ以外は主人公草薙素子の性格や立ち位置が違うことから好き嫌いなど二分されがちなのだけれど、これは神山作品がTVアニメという形態に特化した設定にしているだけで、ただそれぞれのエンタテイメントを愉しめばいいと自分は思っている。
 
そういった過去作を踏まえて、製作総指揮の石川さんはなぜ新劇場版と銘打って、9課の前日譚から攻殻を作りなおそうとしたのだろうか・・・これはまさに先に触れた設定自体がキーポイントになっていると自分は思っている。
なのでここから先は設定界隈に踏み込んで話を進めたい。
 
 
まず社会設定に関して言えば現実の世の中との兼ね合いは25年で少なからず変わってしまった。
監督の黄瀬さんはネット界隈を筆頭に現実世界が攻殻に追い付いてきていて、表現として見せる映像の苦労は減ったけど、様々な設定が書き換えられ更新される必要性もあったと言っている*1
 
この設定更新はキャラクターにも及ぶ。
もちろん一番重要なのは主人公の草薙素子で今回の新劇場版、前にも書いたとおり部隊設定面から行くと士郎、押井さんよりなのだけれど、キャラクターに関して言えばあえて優秀なパーツと呼ぶ9課のメンバーがフルで登場するし、少佐の性格自体も過去作のいいとこ取りとなっている。
 
今作の少佐はゼロ歳児義体という設定になり、自分の存在に不安を抱えるからこそ、ゴーストの囁きを大事にしてそれに従うし、自分の選んだパーツと言う名の仲間に絶対的な信頼を置き、彼らを無意識にかばい、言葉には耳も貸す・・最後の桜監視のシーンはその最たる例なのだけれど、そのシーン自体が重要なのでなく、少佐がそういったアクションを起こしたきっかけが描かれていることがとても感慨深く、士郎版でもあり、押井版でもあり、神山版でもある少佐に仕上がっていると感じた所以だ。
 
また人工知能を持つロジコマは支援に徹するそっけない存在なのだけれど、一卵性双生児二人の電脳を持つサイボーグ”ツムギ”が自己犠牲な行動を取ることで、神山作品の世界観を色濃く見せている。
義体とAI車輌という全く違う存在ながら、共にボディが赤く塗られて上記のような行動をそれぞれに取らせているのは、後のAIの可能性を暗示する意図があってのことだと思う。
 
あとARISEが総スカンとなっている大きな理由の1つは声優陣の総とっかえで、自分もそれまでの声優陣が大好きだけれども、舞台挨拶でバトー役の松田健一郎さんが「士郎さんの攻殻にハマっていた自分が、声優として半人前なのにバトー役をやらせてもらえることにこの上ないプレッシャーと喜びを感じている」といった感じのことをそれはそれは熱く、情感たっぷりに語ったのを聞いて、25年という月日はそういったバトンタッチがあっても良い月日なのだと感じだ次第だ。
 
脚本を務めた冲方さんも、この日の舞台挨拶を含め幾度か「SF冬の時代に攻殻が風穴を開けてくれ、その作品がコンテンツとして25年続いており、これからも末永く続いて欲しい」といった感じのことを話されている。
初期から攻殻アニメに関わられた黄瀬さんなどは押さえつつ、一方で攻殻に影響を受けた人々を新しい血として加えていくという手法はまさに少佐が言うところの「未来を創れ」で、攻殻というコンテンツを未来に活かすための英断だったのでは・・と思う。
 

第4の攻殻は最初に劇場公開のARISEシリーズが4本公開され、次にそれらをテレビ放送用に編集した8本分に新作2本を加えたものをAAA*2として放送、最後にこの新劇場版へとつながって完結している。
それぞれは独立して楽しむことが出来、ARISEという世界観で同じ方向性が持たされているのはまさにSAC(スタンドアローンコンプレックス)な構成ではあるのだけれど、正直視聴者に優しい構成とは言えない。
特に初めて攻殻に触れる人には過去作へのオマージュが大量に盛り込まれているため、一回の視聴ですべてを理解するのは無理だと断言する。
 
それでも、それだからこそ自分はこの新劇場版を初心者のスタート作としておすすめしたいし、ARISEを敬遠していた攻殻フリークにも劇場に足を運んでもらって見て欲しい。
今作は電脳を含めたネットの描写は過去作の中でも一番判りやすいと思うし、攻殻の中で一番早い時期を描きつつも2015年の現代を一番考慮した設定になっている。
 少佐も原作ほどではないけど良くしゃべり、士郎版のように不安を抱え、神山版のように仲間を大事にし、若さゆえヘマもするといった具合だ。
 
新規の方はファイヤースターターを追いたければARISEシリーズへ、オリジンが知りたければ士郎さんのコミックへ、重厚な世界観と映像美に触れたいなら押井さんの劇場版へ、9課の群像劇が見たければ神山さんのSACシリーズへ・・・と、この作品を起点とするとどの過去作もつながりが明瞭になると思うのだ。
攻殻フリークの方はそこかしこに散りばめられたオマージュを見つけることが出来、どうして盛り込んだのか考えさせられ、続編が作られれば新シリーズの9課も面白くなりそうだと感じてもらえると思う。
 
 
舞台挨拶で登壇された声優の二人は印象深いシーンを語られたのだけれど、自分の一番のお気に入り(おすすめ)のシーンは、メンバーにゴーストに従えと解散命令を出した少佐が組織の前に屈しかけ、メンバーの助けを得て反抗に移り、最終的に少佐と真逆の生活をおくってきたクルツにたどり着く最後のシーンだ。
 
特に注目して欲しいのは黄瀬さんが担当された作画の素子で、自分はそこで描かれた数々の素子を見てとても胸が熱くなった。
これは黄瀬さん自身、意図的にそうされたのではないかと思っているのだが、ARISEの少佐が押井版の少佐になったり、神山版の少佐になったりするのだ。
 
それは全身義体の少佐が先に描かれた未来へつながるアイデンティティを確立する証として描き分けられたようにも思えるし、過去の作品を見て来たすべての攻殻ファンが共有する記憶を明示したようにも思え、全てはここから始まり、全てはつながっているというメッセージと自分は受け取っている。
 
 
ニコ生の特番では歴代の監督が勢揃いしてトークを繰り広げ、押井さんが新作への積極的な発言をするなど楽しみは尽きない。
一方で25年という年月は今の人間の寿命からすると決して短くはなく、自分もその寿命を持つ一人として、これまでの攻殻も、これから先の攻殻も出来る限り多くの人と、出来る限り深淵に攻殻の世界に潜って楽しみたいと思う次第だ。
 
これから先の攻殻に関して言えばハリウッド実写版の話題があったりするのだけれど、VR対応ヘッドマウントディスプレイで様々な電脳空間をタチコマと一緒に潜って回るといった既存の映像作品とは違うものなども実現してもらいたい。
そしてお決まりのルーチンでしかネットを使えなくなった現代人にネットの広大さと可能性を今一度知らしめて欲しいと思っている。
 
 
 

*1:一番進化の著しい携帯端末はその最たる例だ

*2:Arise Alternative Architecture